天草西海岸の旅(石山離宮 五足のくつ)

五足のくつ

天草五橋を経て西海岸へドライブ

 九州自動車道を松橋ICで降り、天草五橋の景観を楽しみながら、天草西海岸へ向かいました。12年乗り続けた愛車(プジョー407)も、車検でタイミングベルトを交換したので、まだまだ安心してドライブを楽しむ事が出来ました。

崎津教会

 今夜の宿に向かう途中で、崎津教会に立ち寄りました。

 﨑津教会は、長崎の建築家・鉄川与助によって設計されたゴシック様式の教会で、現在の教会は、1934年(昭和9年)、フランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建されました。教会は、尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式で、その堂内は国内でも数少ない畳敷きになっています。近所の諏訪神社から見ると、鳥居の向こうに可視化に尖塔が見え、隠れキリシタンの工夫の跡を垣間見る事が出来ました。

石山離宮 五足のくつ(共用部編)

 ナビに導かれて国道沿いを走り、案内看板に従って急勾配の坂道を登って、ヴィッラA/B専用の駐車場に到着しました。駐車場では笑顔のオーナーが出迎えてくれて、荷物を持って共有棟へ案内していただきました。途中、趣のある石の門をくぐった辺りの石畳から、共有棟の直前の橋までの通りの打ち水が、心を癒してくれます。ヴィッラA/Bのゲスト専用の共有棟は「ヴィッラ・コレジオ」と名付けられた木造のシックな建物です。コレジオのライブラリーの部屋で、ハーブティーを頂いて一息ついた後、記帳をしました。ここでベテランの女性スタッフ(支配人)から、宿の施設や食事時間などの丁寧な説明を受けました。

石山離宮 五足のくつ(宿泊棟と温泉編)

 この宿にはそれぞれコンセプトが違うヴィッラA/BとヴィッラCがあります。今回はその中でも一番お手頃な、「OLD天草」というコンセプトのA-2という客室に宿泊しました。隠れキリシタン時代の漁師町を再現した離れの客室は、約60平米の広さで、二人で過ごすには贅沢な空間です。リビングの隣は9畳ほどの琉球畳を敷き詰めた和室で、寝室を兼ねています。既に2組の布団が敷いてあり、温泉を楽しんだ後の休憩に重宝しました。マットレスは程よい硬さで安眠できましたが、個人的には硬さの違う枕が選べると嬉しかったです。露天風呂はダイナミックな岩風呂で、3,4人は入れそうな広さで、24時間源泉がかけ流されています。弱アルカリ性の泉質は、柔らかな肌触りでついつい長湯してしまいました。夜は満天の星空を仰ぎながら、朝には鶯などの小鳥のさえずりを聞きながらの湯あみは、この宿ならではの楽しみでした。

石山離宮 五足のくつ(夕食編)

 夕食は ヴィッラA/B専用のレストラン「淡味 邪宗門」の個室で頂きます。邪宗門の玄関の扉の先には、教会を思わせる長い廊下が続き、グレゴリオ聖歌が流れています。地元天草で獲れた魚介類や山の幸に、素材のの持つうまみ活かした「淡味」を謳う懐石料理が、タイミングよく供されます。鮮度抜群の間八や水烏賊のお刺身を、地元天草産の塩で頂く趣向が気に入り、早くも大好きな冷酒を注文してしまいました。椀もの「牡蠣の真薯」や「蕗の薹の天ぷら」など、季節感たっぷりの品々が、地元窯元の器に彩りよく盛られ、目と舌を充分に楽しませてくれました。「アコウしゃぶしゃぶ」は、軽くあぶったアコウ鯛を野生のクレソンやめかぶと共に頂きます。野生のクレソンは地元の教会の牧師さんが提供してくれるとの事で、地元を愛するこの宿の心を感じるとる事が出来た逸品でした。スタッフとは食材や調理の事は勿論、お勧め観光地などの話が弾み、楽しいひと時を過ごす事が出来ました。

石山離宮 五足のくつ(朝の散歩と朝食編)

 翌朝、敷地内の「五足の靴 文学遊歩道」を散歩してみました。美しい竹林や険しい山道を通ると、山腹の展望台に到着します。展望台からは名勝「鬼海が浦」とその向こうに広がる東シナ海が見渡せ、爽快な気分になりました。

朝食も昨夜と同じ「邪宗門」の個室で頂きました。テーブルには全12品の体に優しい品々が並んでいます。中でも崎津産の鯵のみりん干しやあおさ入りの貝汁が、おかゆや粒立ちの良いごはんととの相性がよく、いつになく完食してしまいました。

この宿にはオーナーの明確なコンセプトがあります。一言でいうと「天草らしさ」、このコンセプトを見事に体現しているのが、この宿の魅力です。広大な敷地に点在するでヴィッラで誰にも邪魔される事無く、湯あみ三昧や地魚のもたらす滋味を堪能できた二日間があっという間に過ぎてしまいました。

「石山離宮 五足のくつ」の公式サイトはこちらから

西天草二日目のドライブ

 五足のくつに名残を惜しみ、二日目のドライブを敢行。宿をでて北に向かい、苓北火力発電所を左手に見ながら、「富岡城址」を目指しました。富岡城は唐津城主・寺沢広高が「関ケ原の戦い」の功により与えられた天草郡を治めるために築いた城です。1637年(寛永14年)に勃発した「島原の乱」では一揆軍の攻撃を受け、落城寸前まで追い込まれました。

富岡城址を後に、最後の観光地「おっぱい岩」につきましたが、「これがねー」って感じでした。

 久し振りの二日間の天草の旅を充分に満喫できました。改めて宿のスタッフの方々のホスピタリティーに感謝・深謝です。

ビデオ編集工房 宙

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